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2011/05/12

5月11日(水)「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき」-大震災から2ヶ月

5/11、東日本大震災の発生からちょうど2ヶ月目のその時間、Civic Forceのスタッフは、それぞれの持ち場で黙祷をささげました。手作りお風呂の引き継ぎを担当するスタッフは、南三陸町内で、大島で物資供給や産業復興を担当するスタッフは大島で、気仙沼で産業復興等の調整をするスタッフは気仙沼市内で、動画記録チームは、南三陸町において、被災3県で最も遅い入学式を取材していました。

被災地は、日々刻々と変化をしてきました。そして、これからも毎日一歩ずつ変化をしていきます。依然として一次避難所と呼ばれる公共施設に集団生活をしている人がいる、ある種の異常事態が続いていますが、被災地域の皆さんの復旧・復興にかける思いによって、まちはその表情を変えています。(写真:南三陸町内の志津川中学校から臨む町内の景色は、震災直後から比較すれば大きく変わりました)

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大島では小学校で運動会の練習をしているようすを見かけました。

大島には小学校と中学校が1つずつ並んでいます。大島中学校の校庭は36戸の応急仮設住宅の建設を終えようとしています。隣の大島小学校では、避難されていた方が、民宿等の二次避難所に移転するか、別の一時避難所(大島開発総合センター)に移転され、避難所としての役割をようやく終わります。そして、平常を取り戻しつつある小学校で、今月21日に運動会を開催することを決め、練習が始まった、とのことでした。宮城県は田植えがおわる5月ごろに運動会を開く地域が多いようです。しかし今年は、校庭に応急仮設住宅を建設する動きが多いなかで、校庭を使った体育や部活すらできない学校が多い現状です。運動会の頃までには、島内ではじめての仮設住宅への入居が始まっているかもしれません。

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これまで大島行きの支援物資は、大島小学校の校庭に4トントラックを入れて積み下ろしをしていました。校庭を使った練習が始まったことで、5/11から島内唯一になる大島開発総合センターに行き先が変更になりました。

ところで、大島小学校には「いわし」の歌があります。水上不二(1904-1965年)が弱者への思いやりを謳った童謡詩「いわし」に、プロ野球楽天ゴールデンイーグルスの公認応援歌を手がける山口県周防大島町のデュオ「マウンテンマウス」が明るい曲をつけたものです。大島小学校の当時の校長、石川敏彦さんが企画して、マウンテンマウスに依頼してできたものです。水上不二は、気仙沼市出身の詩人、大島小学校の卒業生です。大島をこよなく愛し

「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき 大島よ 永遠に緑の真珠であれ」

と謳いました。気仙沼市内の4つの小学校と大島中学校を含む4つの中学校の校歌を作詞しています。「いわし」の詩(一部)です(http://www.k-macs.ne.jp/~osim-s13/)。

いわし、いわし、いわし、およいでいけ。
青い海を いそいでいけ。
たった一ぴき のこされて、
いけすのなかを およいでいる いわしをぼくは にがしてやった。
波が あかるく うたってる いけすのそとの 青い海。
いわしに 自由を あたえてやった。
いわしは それが うれしくて ぼくに お礼を いったのだろう。
からだを ふって いきいきと 海をしばらく わたっていった。
(中略)
ぼくは いのった いわしのために、
しあわせなたびを、しあわせを。
 

大震災から2ヶ月が経ち、Civic Forceの2回目のマンスリーレポートも発行しました。こちらからご覧いただけます(http://civic-force.org/news/cat37/)。引き続き被災地に向けたご支援をどうぞよろしくお願いします。