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活動報告

被災地を支援する

2014/06/20

【夢を応援プロジェクト】「学校は嫌なところじゃない」―奨学生からのメッセージVol4

手のひらを太陽の家(加工後).jpgのサムネール画像

東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島3県の学生を、奨学金とサポートプログラムで支援する「夢を応援プロジェク」。奨学生に、2013年度を振り返って「印象に残ったこと」「学んだこと」「力を入れたこと」などをテーマに課題作文を書いてもらいました。

ここに、その一部をご紹介します。今回のテーマは「私の宝物」。作文からは、つらい経験を乗り越え、なんとか明日へ向かおうとする奨学生たちの“今”が伝わってきます。

(学年の記載は2014年3月時点)

 

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「亡き父にもらったネコのぬいぐるみ」―― 大学3年生/岩手県出身・京都府在住/女性

私が大切にしているのは、父からもらったネコのぬいぐるみです。見るといつも震災で亡くなった父を思い出します。震災前、私はいつも父に対して反抗的でしたが、父はいつもやさしく話しかけ、出張の際にはお土産を買ってきてくれました。父が亡くなってから、父とのメールや写真など二人の思い出がないことに気づき、初めて今までの態度を後悔しました。そんな時、家があった所から偶然見つかったのが、ホワイトデーに父からもらったこのぬいぐるみです。父とはもう会えないし、今まで愛してくれたことを返すことはできないけれど、ぬいぐるみを通して父が私の成長を見守ってくれると信じ、前進していきたいです。

 

「自分の人生を歩まなくては」――高校3年生/福島出身・北海道在住/男性

福島第一原発事故で被災し、北海道に引っ越してから3年以上が経ちました。それまで一緒に暮らしていた祖父母とバラバラに生活する日々は今も続いています。生活環境の違いに慣れない部分も多く、地元に帰れるかどうかも分かりませんが、今は自分の人生を歩んでいかなくてはいけません。私は中学時代、いじめにあい、引っ越した先でも、お金を請求されたり殴られ、楽しい思い出がありませんでした。しかし、高校生になってからは、友人が多くでき本当に楽しい時間を過ごしています。ときには喧嘩したり自分の悪い点を指摘してくれる友人は、私の宝物です。高校卒業後は進学を希望しています。小学校の先生になるという夢に向かって頑張っていきたいと思います。

 

「いつか地域の良さを教えられるように」―― 専門学校1年生/宮城県出身・在住/女性

最も大切にしている宝物は、写真です。私は3年前の東日本大震災で家が津波に流されましたが、後にボランティアの方たちが写真を拾って複製してくれ、市民センターや区役所などに貼り出されました。そのなかに自分の家の写真を見つけたとき、心に残っていたものがよみがえってきました。写真を見て辛いと思う人もいるかもしれませんが、私はうつむきたくはありません。写真を通じて、被害の大きさを思い出し、犠牲になってしまった方たちのためにも明日を精一杯生きる人生の糧にしたいのです。私はこれからもたくさん写真を撮ろうと思います。将来、思い出に浸ることができるように。いつか自分の子供に、震災前の地域の良さを教えることができるように。

 

「学校は嫌なところじゃない」―― 専門学校1年生/福島県出身・茨城県在住/女性

原発事故の影響で福島から茨城に転校しました。福島の中学では、イジメを受けたことがあり、学校は怖い所だと思っていました。知らない土地での登校はさらに不安で、当時は『避難者』に対して嫌がらせがあるという噂を聞き、入学式にも出られませんでした。でも家族に押され、一ヶ月遅れで登校してみると、すんなり受け入れてもらえました。最初に話しかけてくれた3人のクラスメイトとは、クラブも一緒で、修学旅行でも同じ部屋になり、卒業の思い出にはディズニーランドへ行きました。母から「えくぼが復活したね」と言われ、彼らに会うまで随分笑っていなかったことに気づきました。3.11があって、茨城の学校に来たからこそ大親友ができ、新しい自分に出会え、将来への『トビラ』が見つかったのです。皆、別々の道に進みますが、「学校は嫌なところじゃない」と思わせてくれた友人に感謝しています。

 

「身近な幸せ、気づかせてくれたグローブ」―― 大学1年生/宮城出身・山梨在住/男性

私の宝物は、野球のグローブです。中学生のとき、野球部に所属し、引退後も部の練習に顔を出すほどでしたが、津波で家が全壊し、自宅にあった野球道具もすべて流されてしまいました。随分ショックを受けましたが、父のグローブが奇跡的に見つかり、水で洗い少しずつ軟らかくして使えるようにしました。震災後、そのグローブで初めてキャッチボールをした時、キャッチボールできる幸せを感じ、普段できて当たり前のことは、陰で支えてくれる人がいるからこそ、と実感しました。このグローブには今、好きなプロ野球選手のサインが記されています。サインを書いていただいた日、その選手は試合でいい結果が出せませんでしたが、疲れた顔一つ見せずにファンにサインをしていて、どんなに苦しくて辛い時でも人に感謝する気持ちを忘れないことの大切さを学びました。

 

「今まで出会ったすべての人へ感謝」――大学2年生/宮城出身・静岡在住/男性

東日本大震災が起きた時、私は高校のグラウンドにいました。ものすごい揺れの後、異様な物音や悲鳴とともに街が津波に飲みこまれ、その日から私の生活は一変しました。家が流され親戚の家を転々とし、父の船や友人をなくしました。でも、その時から人のぬくもりやご飯、布団の温かさを感じ、それまで何の不自由もなく生きてきた自分が恥ずかしくさえ感じたのです。それから私の人生観は大きく変わり、周囲へ感謝の気持ちを持つようになりました。今は、故郷から離れて一人暮らしを始め、富士山の見えるキャンパスで学んでいます。私の宝物は今まで出会ったすべての人たちです。

 

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