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活動報告

被災地を支援する

多目的・稼働型拠点提供事業

2011/06/10

6月9日(木) 島のために力を合わせて―「大島復興チーム(おばか隊)」

気仙沼市大島に、震災後まもなく島の有志が集まってできた地元ボランティアグループがあります。それが、「大島復興チーム(おばか隊)」です。

震災当日、気仙沼市内で起きた大規模火災の火は、海を渡って大島の亀山に燃え移りました。この時、地元の若い人々を中心に集まった有志が、山火事の消火活動を展開しました。また、震災後しばらくは本土への足であるカーフェリーが使えない状態でしたが、その有志グループは小型船で届いた救援物資を港から軽トラックに積み替え小学校に運び、備蓄倉庫へ並べる作業など、マンパワーが必要な場所で活動してきました。本土からの交通手段が遮断されて、外部からの支援が届かなかったため、早くから被災者自らが立ちあがり、地元ボランティアとして活動できたのです。

「お金も出ない無償のボランティアにもかかわらず、よくやるわ」「バカでもなければやってられない」と周囲から囃し立てられた結果、グループは「おばか隊」の愛称で島民から親しまれるようになりました。物資運搬などのほか、個人宅のがれき撤去なども行いました。また、個人で来たボランティアなどに対して海岸の掃除などを指導するインストラクターとしても活動しています。島民にとっても、地元のことがよくわかるおばか隊だからこそ、あれこれ仕事を依頼しやすかったとも言います。

もっとも多い時には、高校生から50代まで老若関わらず50人のメンバーが共に活動していました。人口3000人程度の島ですが、中には今回の震災で初めて話した人同士もいました。メンバーの一人はおばか隊のことを「みんなでおだっても(悪ふざけしても)けんかはしない。親しみやすい仲間たち」と言います。

ただ、震災直後は混乱した中、みんなで協力して困難を乗り切っていこう、元気出して行こうと威勢よく活動していましたが、震災から3か月の時が経ち、自分の家や船がなくなった現実を直視せざるを得ない時期になりました。市内で就職を見つけた人、漁業再開に向けて独自に準備を始める人などが増えて、今も活動を続けているメンバーは15人程度になりました。震災により仕事場が壊滅的な被害を受けた、漁師さんや旅館の方などがメンバーです。現在は、撤去したがれきを島内数か所の集積所に搬送し、仕分け作業なども行っています。

大島の生活再建には漁業や観光の復興が欠かせません。おばか隊は今、この漁業の復興と観光の活性化に向けて、きちんと組織化を図り、島の復興プランを考えています。Civic Forceではやる気のあるこのチームを後押しし、島の復興に向けてどのような支援ができるか、話し合いを重ねながら検討、模索しています。

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(大島の災害対策本部長や大島復興チームのメンバーと話し合いを行っている様子)

昨日の活動報告内でも紹介をしたトレーラーハウスは、この大島復興チーム(おばか隊)にも支援の一環として、14台を無償貸与します。これらのトレーラーハウスは、おばか隊が設営場所や使途を島の災害対策本部などと調整を行った結果、仮設住宅の建設で使用できなくなった校庭の代わりとして島の内外から利用がある運動公園の駐車場に更衣室として複数台設営するほか、住宅再建中の島民が敷地内で仮住宅として利用する予定です。

このトレーラーハウスは、震災から3か月となる6/11に、気仙沼エースポートより大島に向けて無償カーフェリー臨時便(全3便)にて運送する予定です。

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(トレーラーハウスは牽引車で搬送を行う)