過去・今・未来を見つめるメッセージ Vol.4 浪江町職員 今野涼太さん
高校1年生のとき、福島県浪江町で被災し、長期にわたり避難を余儀なくされた。あれから9年、たくさんの人との出会いを経て、再び地元に戻る道を選んだ。
「これからこの町に何が必要か、戻って考えてみようと思って」
2020年3月、東京の大学院を修了し、4月から晴れて社会人になった。就職先は故郷、福島県浪江町の役場。大学院で学んだスポーツ科学の知見を生かし関東の企業で働く選択肢もあったが、あえて浪江に戻る道を選んだ。生まれ育った町で暮らすのは、実に9年ぶりだ。
高校1年生の時、東日本大震災が起きた。浪江高校で陸上部の活動を始めようとした矢先、大きな揺れとともに、周辺の家の瓦屋根がばらばらと落ちる音が聞こえた。町は避難指示区域に指定され、すぐに避難を余儀なくされた。「あの時の持っていたのは携帯電話と財布だけ。すぐに戻れると思ったから」。
隣町の知人宅に身を寄せたが、避難指示区域はどんどん拡大し、次に飯舘村、栃木県鹿沼市、神奈川県横浜市などを転々とした。ようやく落ち着いた宮城県の転校先では「すぐに馴染めなかった」。悔しさが募ったが、陸上部での活動を通じて、徐々に友だちの輪が広がっていった。
また、夏休みに海外でのホームステイや復興リーダー育成プログラムなどに参加し、たくさんの刺激的な出会いがあった。特に印象に残っているのは、日系人初の米連邦議員ダニエル・イノウエ氏の「義務と名誉を大切にしなさい」という言葉。日系人への差別が過酷だった戦争中、相手を侮辱せず、生まれ育った土地への義務と、人としての名誉を守る生き方に感銘を受けた。そして、自らを客観的に捉え、前に進むきっかけを得た。
役場1年目の仕事は税務。まずは目の前の仕事を覚えつつ、いつかスポーツで町を元気にする、という目標がある。週末は筋トレや釣りをする。散り散りになった仲間や知人が月1回、浪江に集まって一緒に汗を流すスポーツ大会も楽しみの一つだ。
気負いはない。「どうして戻ったの?と聞かれても実はまだはっきり答えられません。住まないと分からないことがありそうだから戻りました」。大変な時期もあったが、原発が憎いとはもう思わない。それぞれに立場があり、これからは尊重しあう生き方がしたい。真っ直ぐな視線の先に、分断を乗り越えた、もう一つの福島が見える。
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