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東日本大震災を振り返る

【Vol.01】 株式会社 高橋ヘリコプターサービス(前編)

INTERVIEW  2012/03/04

代表取締役社長 高橋雅之さん

代表取締役社長 高橋雅之さん
2011年3月11日、震災発生直後にヘリを飛ばし、Civic ForceやパートナーNPOとともに被災地へ向かった高橋ヘリコプターサービス。普段は、各種ヘリの整備、修理や管理、法定検査代行業務のほか、スカイダイビングなどを行う一民間ヘリ会社が、約1カ月間にわたって支援物資を運んだ理由とは。パイロット兼整備士として、東日本大震災の緊急支援に大きく貢献した高橋雅之社長にお聞きします。
「精神的な強さ」試された飛行
2011年3月11日の東日本大震災発生直後、Civic Forceは被災地の被害状況をいち早く把握し、支援に入る場所を選定するため、翌12日にヘリを飛ばしました。あのとき、高橋ヘリコプターサービスの迅速かつ的確なヘリとパイロットの手配が、その後の支援に絶大な影響を与えました。高橋さん自身は、2011年3月11日当時、どのように判断し動いたのでしょうか。
3月11日の震災発生時は、アメリカから日本へ帰国する飛行機の中にいました。あと数時間で成田空港に到着できるというタイミングでしたが、震災の影響で着陸できず、11時間半をかけてデトロイトに逆戻りしてしまいました。デトロイトの空港に着いてから、すぐに着信履歴を確認し、Civic Forceの根木佳織事務局長に電話をかけると、「被災状況を把握するためにすぐに1便飛ばしたい」と依頼されました。Civic Forceとは以前から連携契約を結んでおり、とにかく一刻も早くヘリを飛ばさなければならないと思いました。

でも、そのとき私は日本にいない…。仲間のパイロットや社員に連絡して、12日に飛ぶ手筈を整えました。仕方のないことではありますが、発災時に自分が現場に不在だった不甲斐なさは、今も忘れられません。私自身は翌日に日本に帰国し、13日から約1カ月間、被災地へ飛びました。
空から見た被災地はどんな様子でしたか。
3月12日に私の指示でヘリを運航したパイロットは、被害が大きいと予想された宮城県名取市へ向かいました。同乗したのは、Civic Forceの呼びかけで集まったアドラジャパン、チャリティ・プラットフォーム、ピースウィンズ・ジャパン、ジャパンプラットフォームの4団体の緊急支援スタッフ。
空から見た名取市とその周辺の街は、水没していて生存者はほとんど確認できませんでした。そのため、一旦引き返して燃料を積み直し、翌日に帰国した私がCivic Forceの大西健丞代表理事とともに、石巻へ向かいました。

石巻では、Civic Forceが普段から協力関係を築いていたイオンショッピングセンターの駐車場わきに降りて事情を聞き、さらに、工業施設から流れ出した重油が拡散され広範囲の火災が起きた気仙沼にも入りました。気仙沼では、イオンショッピングセンターの屋上に着陸して市内を視察し、大西さんが災害対策本部や学校施設に行ってニーズを聞いて、物資とともに再び戻る約束を交わしました。

それから約1カ月間、ほぼすべての空きスペースに派遣人員と支援物資を乗せ、被災地へのピストン輸送を2機で続けました。
今回のような大規模災害での出動は、Civic Forceにとっても、高橋さんにとっても初めてのミッション。どんな思いで飛んだのですか。
今回の震災では、津波の被害が甚大で陸路の幹線道路復旧に約2週間を要しました。被災地の状況を考えると、空路を移動できる者として一刻も早くできるかぎり多くの物資を運ぶ必要性を感じていました。ヘリポートのある茨城県結城市から被災地までの往復可能本数は、燃料や飛行距離の関係で、最大でも1日2本。暗くなってからの運航は危険を伴うため、日没前に被災地を出発する必要もあります。

私のヘリは全備重量1,950kgですが、これをはるかにオーバーする量の物資を乗せました。飛行規程限界事項を超えるフライトは、パイロットとしてあるまじき行為ですが、今回は非常事態です。機体は、一旦上がってしまえば、あとは飛ぶことができるので、とにかくまずは機体を上げることに集中しました。これまでの技術と経験を総動員し、「ごめんね」「その調子その調子」と機体に話しかけながら操縦していた私の姿は、周りには少々滑稽に映ったかもしれません(笑)。

あらゆるものが津波で流されてしまった被災地の様子を上空から確認しつつ、大量の物資を何度も被災地に運ぶ任務は、今思えば、精神的にも肉体的にも非常に切迫した状態でした。吹雪が吹き荒れるなど天候の悪化も不安材料となりました。また、支援を行う数少ない民間のヘリとして、絶対に事故などがあってはいけないというプレッシャーも感じていました。

そうした極度の緊張状況の中で考えたのは、戦場で操縦するパイロットのこと。日常に戻った後も心理的なトラウマを抱えるパイロットは多いと聞きますが、そこまではいかなくとも、まさに精神的な強さが試されたミッションだったと思います。

後編へ続く

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